JeS[ʈꗗ: 残したい、伝えたいこんな仕事・あんなビジネス

海外で保育園を開業、その経験を通じて

 カナダで日本語保育園を開業された方から貴重なお話を伺えました。この方は保育の資格を取りに学校へ通いながら開業準備を進められたそうなのですが、学校での課題…例えば契約関連など、がそのまま開業に活かせるようなものであったことから立ち上げ時の準備の重要性などを強調されておりました。とても参考になります。

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 私は日本で教員養成系の大学を卒業し、2年間、教職に就きました。カナダで結婚、出産、子育てを経て、何か教員の資格と経験を活かせる仕事をしたいと考え、自宅で日本語保育園を開業しました。

カナダでは共働きの親が子供を預ける際、選択肢がいくつかあります。
一つ目はデイケアセンターで、これは日本の保育園と同じです。ただ、デイケアセンターは空きがないところも多く、また子供の数が多いので、子供が病気をもらってきやすいといったデメリットもあります。
二つ目は、ベビーシッターやナニーを雇って、自宅に来てもらう方法です。契約によっては、簡単な家事やペットの世話をお願いすることもできます。その家庭の都合に応じて、住み込みのナニーを雇うこともあります。
三つ目が、私が開業したようなファミリー・デイケアというもので、個人宅で開業している保育園に子供を預けるというものです。

 日本で言う保育ママさんに似たようなシステムですが、保育ママさんと異なる点は、運営が行政ではなく、自営業として運営している点です。ファミリー・デイケアの利点は、少人数で目が行き届くこと、アットホームな雰囲気で、子供が安心して遊べること、デイケアセンターは空きがなくて入園を断られたけれど、近所のファミリー・デイケアには空きがあったというケースもあります。

 日本語保育園を開業するにあたり、夜間のコースに通って資格を取りました。子どもの発育、発達についてや、自宅の一部とビジネス目的で使用することになりますので、税金の控除、加入すべき保険などについて学びました。この夜間コースは大変よくできていて、毎回提出する宿題が、ビジネスを始めた時に、そのまま保護者へお渡しする書類(契約書、申込書など)として使うことができました。移民の生徒もたくさん受講していて、英語もわかりやすい英語で、はじめは不安に思っていましたが、無事に卒業することができました。カナダでは、このような社会人向けのスキルアップやスキル取得のコースが大変充実しています。

 開業前から「日本語保育園を開業したら、ぜひ預けたい」という人がいらっしゃったので、集客にはさほど困りませんでした。日本人が多いバンクーバーという土地柄もあったと思います。ビジネスにおいて一番苦労するのが集客ですので、その点は大変ありがたかったです。

日本語保育園を開業してよかったことは、息子の成長を見守りながら自宅で仕事ができたこと。仕事はしたいけれど、息子は預けたくないという私のわがままを叶えるのに、日本語保育園は最高の仕事でした。また、日本での教員経験を十分に生かすことができ、保護者から厚い信頼を得ることもできました。昔から子供が好きで、子供と関わる仕事がしたいと思っていたので、この仕事はまさに私にとって天職でした。

 このビジネスで私が「やっておいてよかった」と思ったことは最初の契約書作成です。書類関係の準備には膨大な時間を費やしましたが最初の規約を細かく決めておくと、トラブルを未然に防ぐことができますし、後々楽です。
また、保育園を運営しながら、必要だと感じたことは随時、契約書に盛り込んで内容を更新していました。書面でのやりとりというのは本当に大切で、特にカナダでは直筆のサインをもらえば承諾を得たことになります。

 面白かったのは、契約書の最後だけではなく、途中のページにも目を通した証にイニシャルを記入するという、日本にはない発想です。大雑把でいい加減なことも多いこの国ですが、こういうところは日本人より細やかでしっかりしているんだなと感心しました。

この自営業は、私の中で大きな自信になりましたし、
日本語保育園を通して、たくさんの素敵な子供たち、ご家族との出会いに恵まれたことに、心から感謝しております。

初めての独立、オランダでのJapaneseマッサージ

 海外での生活はおろか日本でも経営経験がゼロ、英語も苦手・・だった方がオランダでビジネスを展開し、現在も軌道に乗った店舗運営をされている。

 お話を伺ってみると、確かに裸一貫で右も左も分からないのに情熱だけで単身オランダへ乗り込んだように思われがちですが、無意識に始めからきちんとコンセプトを掲げ、現地海外のマーケティングも実行し、地道な努力で着々と成功を掴んでいらっしゃるな・・というように思われます。

とても参考になりますので、ぜひ読んでみてください。

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 私はマッサージの技術だけを頼りにオランダで事業を行なっています。

 日本で5年ほどリラクゼーション業界で働いていた私は、独立を視野に入れていました。しかし日本におけるマッサージやリラクゼーション業界は飽和状態にあり、独立した者で成功する人はほんの僅かという厳しい現実がありました。

 そんな時、たまたまオランダの移民法が変わり日本人に優遇策を取っているとの記事を目にしました。オランダは以前旅行ですが訪れた事があったこと、オランダでも街にマッサージサロンはありますが、中国式やタイ式がほとんどで日本式を見かけなかったこと。これらの背景から、もしかしたら日本よりもオランダで日本式マッサージを展開すれば需要が生まれるかもしれない・・という想いに至りました。基本的に「日本」という響きに好印象や高品質というイメージを持っている外国人は多いと思います。その為かどうか、初めて聞く『Japanese massage』に興味を持ってくれる人が多い気がします。

 思い立ってからは、すぐにインターネットで情報収集をし、現地の移民弁護士とコンタクトを取り、即座に起業及び移住を決断しました。早く決断したのは経済問題や移民問題で揺れるヨーロッパなだけに、いつどのように移民法が変わるかも分からないと危惧したからです。一番厄介ともいえる滞在許可などの手続き関連は前述の移民弁護士に依頼したため、自分自身はほぼノータッチで大丈夫でした。

 住居や店舗探しから始め、他のマッサージ店の有無や価格設定などは、ほとんど現地に行ってから行ないました。もちろん事前にインターネットで調べられることは調べておくに越したことはないですが、情報が古かったり正確でなかったりするケースもあるので、結局は自分の目や耳、足で確かめるのが一番だと実感しました。

 オランダは先進国なだけあり物価もそれなりに高いです。そのため、まずは店舗を持たず出張マッサージとしてビジネスを開始することにしました。住居兼店舗とするのが理想ではあったのですが、自治体のルールやオーナーの意向などにより全ての住居でビジネスができるわけではなかったからです。この辺りはやはり最初から100%を求めているとなかなか前に進まない事があるので、ある程度の柔軟性や妥協が必要なのではないかと思います。
 
 お店の宣伝や集客については、Facebookで宣伝をし、知り合ったオランダ人に口コミを広げてもらうような形で、広告費はほぼゼロでスタートしました。かかった費用と言えば自分で作成したメニュー表のコピー代ぐらいですね。この辺りはもっとお金をかけてでも宣伝をし、一気に顧客を確保するといった方法でもいいと思います。結果的に私はお金をかけなかった分、顧客確保に時間もかかりました。

私が宣伝にお金をかけなかったのは、マッサージの事業が維持費をほとんど必要としなかったからでした。例えば食品を扱っていたり店舗を持っているようなサービスだと、当然維持費がどんどん負担になってきますよね。その点店舗を持たない出張マッサージという形であれば、自分の生活費以外にかかる費用がほとんどないため、焦らずにじっくりと顧客確保に専念できたわけです。

  海外はおろか日本でも起業経験がない私には全てが初めてのことだらけでしたが、現地で知り合いが増えてくることで大きな助けになりました。オランダの公用語はオランダ語ですが、オランダ人の多くは流暢すぎるほど英語を話すのでとりあえず英吾ができればコミュニケーションは問題ありません。まあ私の場合その英語も苦手ではありました・・。ただ言葉の壁は、正直後から何とかなると思います。
 国や国民性によって初めての物やサービスに対し懐疑的な場合もあれば、好意的な場合もあるでしょう。その点においてオランダはかなりオープンだと思います。その甲斐あってか、私の始めた日本式マッサージも何とか順調に軌道に乗っています。オランダはその文化や国民性からも新しいビジネスを始めるのにチャレンジのし甲斐がある国だと思っています。

海外でビジネスを展開させる上で大事なパートナーシップ

 今回は南アフリカ共和国という日本からも遥か遠い異国の地で地道なトライアンドエラーを繰り返し夢を叶えられた方の体験談をご紹介します。

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 私は南アフリカ共和国のケープタウンでビューティーサロンを経営していました。現地で結婚し、自宅で出来るビジネスを始められるよう、学校に通い資格を取得しておきました。フルタイムのコースで2年間勉強し、フェイシャル、アロマセラピー、マニキュアとペディキュア、脱毛を出来る資格を取りました。

資格取得後は、ホテルのビューティーサロンで雇われながら4年間修業をしました。その後、自宅ではなく小さな貸店舗をみつけ自分のサロンを開店しました。

 
結果はあえなく失敗です。
集客に苦労し、お店を回していけなかったこと、資金不足で販売用の商品が十分変えなかったことです。今振り返ると完全に準備不足だったと感じてます。



 その時舞い込んできた話があります。美容室を経営している友人が誘ってくれたのです。「敷地内にあいてる部屋があるから、そこでフェイシャルとかマニュキュアのサービスをしてみない?」この友人の美容室は一軒家を改造したお店で、裏に庭がついています。この裏庭は通常お客様の待合、休憩用で、イスやテーブルが置いてありました。その一角に、小さな小屋があり、元々は賃貸用として建てられたもので、シャワー室やキッチンがついていました。この小屋をリフォームして私に貸してくれるというのです。

庭にいる美容室のお客さんに宣伝しても良いし、美容師が施術中も裏庭にあるビューティーサロンの宣伝をしてあげる、と。私のホテルでの経験を買ってくれ、リフォーム費用は向こうが持ち、私は家賃を払うだけで良かった事も幸いしました。将来的には、私の施術目的で来たお客様が美容院にも来てくれるようになると良いね…と言ってくれました。

 好条件だったのでこの言葉に甘え、もう一度ビューティーサロン経営に挑戦してみることにしました。

美容師さんたちのおすすめで、お客様もぼつぼつと来だしました。ヘアカラーやパーマに来ていた美容室のお客さんが待ち時間にマニキュアやペディキュアをしに来たのです。そこから私のサービスにも評価をいただけるようになり、だんだんとお客様が増え始めました。しばらくたつと、他のトリートメントにも興味を持ち出す方も増え、土曜日は予約でいっぱいになり始めました。スキンケア商品の販売も順調で、美容クリームを買いに来るだけによるお客様もできるようになりました。

結果的に当初の失敗を経て、ここでは順調に美容サロンを運営することが実現できました。

 ここでの成功の秘訣は、私一人でビジネスをやっていなかったことだと思います。美容室の一部として定期的にミーティングを行い、常時改善に向かって何をしたら良いか話し合ったり、情報を交換したりと、皆で共に運営をし、勉強するという姿勢がありました。プロのための講習会にも積極的に参加し、新しい技術を取得する機会もありました。一人ではしてなかっただろうな、と思います。

このビューティーサロンは6年で廃業しました。個人的な理由により、イギリスに引っ越すことになったからです。それ以降もいろいろな国への引っ越しが続き、今は雇われ人ですが、あの頃の体験を活かしもう一度自分のお店を持ちたいと現在計画中です。

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 よく、ビジネス・・特に海外でのビジネスを展開したり事業を海外進出させる際に、パートナーシップの重要性が語られます。あらかじめ似たようなビジネスである程度の成功を収められた方とパートナーシップを組める事が一番理想ですが、なかなかそう都合よくもいきませんよね…。このパートナー探しというのが成功のキーの一つにも思えます。

この方の成功談もまさに、現地でのパートナー(もはや共に働く仲間…ですね)との良縁が成功を導いた好事例です。

フィリピンでのレストラン経営談から学ぶ、慣習の違いと経営ハウトゥ

 フィリピンのある地方都市で雑貨店とレストランを経営されている方からとても貴重な体験談をお伺いすることができましたので、ご紹介させていただきます。

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 フィリピン・カマリネス州・ナガ市、人口17万人程度のこの地方都市で、私が小さな雑貨店とレストランを始めたのは今から約6年半前になります。フィリピンの常識や文化はもとより、フィリピンの人が普段どんなものを食べているのかすら知らずに始めたので、最初はけっこう苦労しました。

今回は、私がフィリピンで経験したレストラン経営にまつわるエピソードや、やってみて解かったことなどをお伝えします。



 最初は日本との常識の違いに本当に戸惑う毎日でした。日本人の常識からすると非常に驚くのですが、

レストランなどの飲食店もそうなのですが、ほとんどのお店で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を聞いたことがありません。
ひどい店になると、お釣りをお客様に投げ返すところもあります。約束の時間も守りません。30分、1時間遅れは想定内で待っていないとなりません。
でも彼らに悪気はないのです。これがフィリピンでの常識です。

 この経験から、私のお店では日本特有と思われるこの挨拶…「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」をあえて口にするようにしました。それは現地では物珍しく映ったようで、直接のビジネスの売り上げに貢献されたかどうかは分からないですが、周りにひしめく飲食店の中では個性として目立つ存在になりました。

 またメニューについても試行錯誤の中導かれた結論がありました。それこそ最初は他の食堂やレストランを真似てフィリピン料理を出してみたのですが、これが大失敗…。

それで思い切って日本式のカレーライスを出してみました。これが予想に反し大当たりしまして、口コミが口コミを呼び反響となりました。

それ以来、カレー、とんかつ、親子丼、焼肉定食など、日本の食堂で出る日本のB級グルメを中心としたお店に。日本のメニューがまかさこのような形で現地の方々にウケるとは思ってもいなかったので、やってみないと分からなかった事ではありますが、やはりジャパンクオリティというものが食にもあるのだなぁ・・と感じました。

このような経験を経て、思うこと・感じたことがあります。



【フィリピンのお店経営で注意しいこと】


1.過剰な設備投資はけがのもと
 

海外でビジネスを始める時は気合が入りますよね。たとえばお店だったら、設備や内装に思いっきりお金をかけたくなります。
気持はとても良く解りますし私もそうでした。ですが、フィリピンで商売を始めるころは円とフィリピンペソのお金の価値の違いが実感できないのです。

これが落とし穴ですね。つまり円を使って設備投資して、価値が1/5のフィリピンペソで回収することになるからです。
 
ですから、設備投資は最小限度に抑えるべきです。豪華にするのは儲かってからでも遅くありません。



2.意外に高くつく人件費


 フィリピンの人件費は確かに安いです。たとえば、首都マニラでさえ表向きの最低賃金は1日約1,000円(450ペソ)です。
ですが、問題は作業効率です。先ほどお話した時間を守らないこともありますが、フィリピンの人は仕事に命をかける日本人とは違います。
つまり、日本人なら1人でこなせることを、現地の人なら2,3人と考えていた方がいいということです。この辺の盲点でした。




【フィリピンにはビジネスチャンスがいっぱい!】


 フィリピンのビジネスは日本に10年遅れている。と言う人もいますが確かにそう思います。でもそれは、日本でやりつくされた手法が、実はフィリピンでは新しいことなのかも知れないということです。

日本にあってフィリピンにない商売はたくさんあります。これは私が住むナガ市に限ってのことですが、コインランドリー、自動販売機、修理保証付きの中古車屋さん、学生相手にアパートを紹介する不動産屋さん、タウン情報誌などなど…探せばもっとあるでしょう。
 

もう少しすんなりと就労ビザが出れば良いのですが…

ただ、これから世界はボーダーレスの時代。是非フィリピンでのビジネスも検討されてみては?

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 やはり、現地ですでにビジネスを展開されている方のお話は本当にためになりますね・・非常に参考になりました。これからビジネスを海外で展開させようという方も、事業を海外進出させようという方も、フィリピンに限らずこういった文化の違いから起こる問題や、貨幣価値の違いと労働資本のバランスは現地の慣習をよく理解した上で事前準備できるととても良いですね。

海外進出に挑戦し国内外で人気再熱した南部鉄器

最近、日本でも人気が再熱し、しいては海外でも注目を集めている製品のひとつに「南部鉄器」があります。

 南部鉄器は東北地方の岩手県の伝統工芸品です。昭和50年に国の伝統的工芸品の第1号として指定されました岩手の南部鉄器。17世紀中頃、南部藩主が京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが始まりといわれます。現代では日本の生活スタイルが変わるにつれて、家庭で南部鉄器が使われることは少なくなっておりました。また大量生産で作られた安価な急須にとってかわられ、南部鉄器の生産は衰退していった時代もあります。

 南部鉄器の一番の特長は、非常に丈夫で長持ちだということ。丁寧に使えば100年は使えるといわれているほど、耐久性が高く、一番人気の急須でいうと、厚みがあるため温度の低下がゆるやかなので、温かなお茶をゆっくり楽しむことができます。最近では鍋やプライパンなど様々な製品が作られていますが、南部鉄器の表面には小さなでこぼこがあり、使えば使うほど油がしみこんで金属石齢という被膜を作るため、焦げつきなどを防ぎ料理がおいしくできあがるのでその用途も多岐に渡ります。

 また南部鉄器というと黒い鉄の重厚かつ古風なイメージもありますが、最近ではカラフルでとてもおしゃれなデザインのものが増えました。Instagramなどでもオシャレな方々が美しい料理のお供として南部鉄器を飾り、そのフォトジュニックな様相から人気も再熱しているように思います。

 そんな南部鉄器、今では海外でも人気を博し注目されるようにもなっています。南部鉄器の人気に火がついたのは、フランスでした。南部鉄器の老舗「岩鋳」さんが、1996年パリにある紅茶専門店から、カラフルな急須を作ってほしいとの依頼を受け、海外進出を決断。体内への摂取を考え安全な着色料を使うことを徹底して研究し、3年の年月を経て色とりどりの素晴らしい急須を完成させました。パリで店頭に出されるやいなや、爆発的な大人気となりヨーロッパはもちろん、アメリカや中国など世界中で愛される製品となったそうです。

 以下のNECさんが運営されるwisdomに「岩鋳」さんのインタビュー記事が掲載されていますが、この記事の中で岩鋳さんは「海外に出ていなかったら今の岩鋳はない」とおっしゃれています。

・南部鉄器の伝統を守りながらカラフルな急須を開発し、海外進出を加速

https://www.blwisdom.com/lifeculture/interview/innovators/item/9580/9580.html?start=1

伝統を守りながらも海外進出という挑戦を続けた事で今の新たな再熱がある。とても素晴らしい事例ですね。

船舶用プロペラのトップシェアを誇っている企業_ナカシマプロペラさん

日本の頑張っている企業を紹介します。

 岡山県岡山市に本社を置く船舶用推進機器メーカー「ナカシマプロペラ株式会社」さんは日本で船舶用プロペラのトップシェアを誇っている企業です。


 小さなものは直径20センチから、大きなものではなんと12mのプロペラまで製造する事ができます。
その様な大きなプロペラを作る事ができるのは世界的にみてもナカシマプロペラだけであり、海外進出も果たしていますが、世界でも船舶用プロペラトップシェアの会社であると断言できます。

元々は漁船用のプロペラを製造していたという事ですが、現在では漁船用プロペラはもちろん、
競艇用のボートやレジャー施設で使われるようなボート、自衛隊向けの潜水艦用プロペラまでも製造する事ができます。

プロペラの出来を左右する磨きの工程では、機械ではなく手作業でプロペラの凹みやゆがみなどを職人さんが丁寧にチェックして磨き上げて行きます。
機械での仕上げを行えば時間短縮、経費の削減にもなるかと思いますが職人さんの目と手で完璧に磨き上げることで製品の仕上がりは全く違ったものになります。
プロペラが回転した時に余計な泡が発生しなくなることから耐久性も高まるので、長く1つのプロペラを使って頂く事が出来ます。

 

ナカシマプロペラのプロペラは「一品受注生産」である為に模型などを使って製造するわけではありません。
高度な職人のスキルと最先端のデジタルテクノロジーの融合で完璧な製品を日々作り上げています。
デジタル技術がどんなに進んでも、製品を生産する上で職人のスキルは必要不可欠なものであり、
ナカシマプロペラの宝の1つはそういった職人そのものであるといえます。

 私はドラマ「下町ロケット」が大好きです。好視聴率・好評価でしたのでご存知の方も多いでしょう、下町ロケットとはその名の通り下町の無名な製造会社がその技術と情熱を持って世界に誇る日本のロケットビジネス、しいては最先端の医療ビジネスに挑んでいくという物語です。元々大手の重機製造業者に勤めていたロケット部品の技術者が実家を継いで再建をはかるのですが、最初は「とことん技術を突き詰める」「最先端ロボットにだけ頼るのではなく人の手..職人の技術を守る」という姿勢から経営が圧迫され現場とも衝突が絶えません。ですが、元々技術者としては一流であった社長のそのこだわりと、最後は情熱が大手や大きなビジネスを吸い寄せて、夢を叶えて世界と勝負をしていくという何とも夢があり壮大であり、でも人情味溢れ共感・応援せずにはいられないその世界観に引込まれる..そんな作品です。

 ナカシマプロペラさんの企業理念などを拝見していると、ふと下町ロケットを思い出してしまいました。通ずる世界観がありそうです。

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ナカシマプロペラ株式会社:http://www.nakashima.co.jp/index.html
・画像等ネットからお借りしております

日本ではお馴染みのビジネス形態が海外では斬新な手法に?シドニーのスペース貸し雑貨店の事例

シドニーで「スペース貸し手作り雑貨店」を経営されていた方からこんなお話を伺いました。日本で行っていたビジネスを海外進出させたのではなく、日本では馴染みのあるビジネス手法、ビジネス形態が海外では斬新であったことをヒントに企業されていた方の好事例をご紹介します。

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私はオーストラリアのシドニーで、スペース貸し手作り雑貨の店を10年間経営してきました。日本でもオーストラリアでもビジネスをした経験はなく、店舗で働いた経験すらなく、また同業種の知り合いもいないという無い無いづくしの状態で手探りで店を始めました。

私が経営していたのは地元の方々が作った手作りのアクセサリーやファッションアイテムを売る雑貨店になります。店内に多数の棚やテーブルを置いて場所を区切って、手作り雑貨を作る作家の人々に作品を展示販売するスペースを貸し出します。スペースはサイズやロケーションによって値段が違っていて、作家の人々は選んだスペースによって毎月スペース代(賃貸料)を払います。またスペース代のほかに、品物が売れると売り上げの20%の販売手数料がかかります。

店には日本の雑貨など仕入れ品もありますが、収入の中心は販売収入ではなく、クラフト作家の人々からのスペース代です。

こんな非力な私が始めた店ですが、小さいながらも続けてこられた理由を振り返って考えて、これから海外でビジネスを始める方に参考になりそうな部分をピックアップしてみました。

1.新しいビジネスコンセプトを持ち込むことが戦略になる

「スペース貸し雑貨店」は日本ではポピュラーでほぼ定番のやり方になっていますが、このスタイルはオーストラリアにはありませんでした。それで「今までになかった店」ということで、メディアに掲載されて人々の注目を集めることができました。

品物を買うだけではなく作る人が参加できる…料金さえ払えば誰でも参加できてチャンスが掴める、という点が特にオーストラリア人には珍しかったようです。

商品やサービスの質や新しさが大事なのはもちろんですが、それ以上に「ビジネスのコンセプトの斬新さ」は、他と差をつけるための大きな要因になると思います。

外国で現地の人をターゲットにしてビジネスをする場合「現地にはない日本のものを提供する」というのが一つのやり方だと思います。その際日本の品物やサービスを提供するのも良いですが、それ以上に「日本にしかないビジネスコンセプトを持ち込む」というのは強力な戦略になるのではないでしょうか。

2.その国で需要が満たされていないものは何か考える

私は「作品を売りたいけれど売るチャンスが無い」というアマチュアや初心者の作家の人々をできるだけたくさん集めるようにしました。

オーストラリアでは販売実績のないアマチュアの人々にとって、品物を売るチャンスを得ることは容易ではありません。一部の雑貨店は品物の委託販売を受け付けますが、よく売れる実績がある品物しか受け付けません。またネット販売がポピュラーになったとはいえ、やはり「実際品物を手に取ってもらえる店舗で販売したい」と願う作家の人はたくさんいるものです。

私の店は販売経験が無いアマチュアの作家の人でもスペース代を払えば誰でも参加できて、スペース内にはどんな作品でも好きなだけ置いて販売することができるようにしました。また棚は丸ごと一つではなく、段ごとに区切って一区画ずつ借りられるようにして、作品数が少ないアマチュアの人や低予算の人でも借りられるようにしました。またスペース貸しの長期契約はせず、一か月ごとの更新としました。

これによって、売れるかどうか確信が持てない初心者の人でもリスクを気にせず販売に参加することができるようになりました。そしてほかの委託販売の店に入り込めなかった作家の人々を取り込むことができました。

どんなビジネスでも、その国で必要とされていて需要が満たされていないものを供給すれば成功します。それが何であるか、現地の人々の生活を注意深く観察して常に考え続ければ、見えてくるものがあると思います。

3.現地の習慣やテイストに合わせたビジネス展開をする

私のビジネスは日本のビジネスモデルを海外で実践したというものですが、日本のやり方をそのままうつしただけでは受け入れられなかったと思います。

まず、スペース貸しの雑貨店という今までになかったコンセプトを現地の人々にわかってもらえるように手を尽くして説明しました。店名には「ギャラリー」という語を入れて、ただ仕入れて販売する店ではなく「作品を見せることができる場である」ということを強調しました。

また手作り作品のほかに、オーストラリア人が興味を持つ和風のクラフト素材や和雑貨を置きました。そして和雑貨の好みも日本人とは違うので、それに合わせた品ぞろえにました。

作家の人々は3割が日本人、7割がオーストラリア人や他の外国人でした。日本人以外は皆のんびりしていて、スペース代も期限までに毎月払うとは限らなかったのですが、あまりルールに厳しくこだわると皆続かなくなるので、そのあたりは適当に緩めにしました。日本人の作家の人々には、日本人とは違うオーストラリア人独特の好みについて知らせるようにしました。

またオーストラリアではクリスマスがギフトシーズンのピークになるので、毎年それに合わせた日程を組んでビジネス展開をしてきました。

日本のビジネスを海外で展開する場合、日本から持ってきたものをそのままの形で出しても受け入れられないことがあると思います。現地に合うかどうか吟味して、もし必要なら合う形に加工してから提供するのがいいかもしれません。

以上

まさに、海外のマーケットや消費者のニーズをしっかりと捉える..海外マーケティングを地でいかれ日本では馴染みのあるビジネス形態を海外展開させて成功したという、とても参考になりますね。

日本よりも海外で成功する、ホンダのアコード

日本の技術が海外で高い評価を得ていることは誰もが知るところではありますが、日本で作られたモノが日本国内より更に海外で売れ行きを伸ばす事もあるということはご存知でしょうか。

ホンダの乗用車アコードは、現在日本市場の売れ行きよりも海外市場での人気が非常に高く、特にアメリカでは毎月25000台以上を売り上げるベストセラーカーとなっています。

アコードは1982年に初めてアメリカで生産された日本車であり、その後も現地生産を続けています。現在のアメリカ仕様のアコードは4800mmを超える全長で、3.5Lエンジンと2.4Lエンジン、2.0エンジンのハイブリッドと、北米のみの扱いになっている2ドアクーペの3.5Lエンジンと2.4Lエンジンが存在しています。北米のニーズに合わせた改良をし続けていることが北米でアコードがトップセラーであり続けている要因でもあります。

また、小改良でスタイルを改良することも行われていて、最新モデルでは登場から3年で前後デザインの変更という大掛かりなデザイン変更が行われています。ホンダでリアランプのデザイン中心と言う珍しいデザイン変更をしたことがあるのはここ25年で2003年モデルのアコードのみとなっています。デザイン面での変更タイミングの巧みさもアコードの北米での成功の理由と言えるかもしれません。

アコードはホンダが排気ガスの規制のマスキー法を世界で最初にクリアーしたCVCCエンジンを搭載したことで環境問題に対しても代々先進的な位置にあり、90年代後半にも当時世界最高レベルだったカリフォルニアの排気ガス規制をクリアしたモデルを販売しており、2003年には北米専用のハイブリッド車を販売し、2013年に現在のハイブリッド車を発売していますが、基本のガソリン車の高速道路での燃費が非常によく、アコードよりだいぶ小型で燃費の良い1.5Lエンジンを積んだホンダフィットの北米モデルと2.4Lエンジン車では高速燃費で2割程度の差しかない数値を出しています。北米で人気の高い大型のV6エンジン搭載車でも馬力の必要ないときは3気筒のみ使用して燃費を向上させるシステムなどを搭載しており、さらに最新モデルでは燃費の良い直噴エンジンにアップデートするなど市場のニーズをテクノロジーでうまくつかんでいると言えます。

このように、時代背景を捉えつつ販売地域特有のニーズに知り、それに答える・・技術力は日本は世界に誇るレベルですから、その技術をもってしてニーズを捉えられればおのずと成功するという事例でもあります。

現地のニーズをいかに把握するか、これがキーであるとも言えます。

なぜ日本企業は海外進出が下手なのか。失敗の本質を探る。

以下の興味深い記事をご紹介させてください。

・東洋経済:なぜ日本企業は、海外進出が”下手”なのか?野村証券も第一三共も…積み上がり続ける失敗例
(2014年07月07日)

http://toyokeizai.net/articles/-/41560

・ダイヤモンド社:海外進出に失敗する企業、5つの共通点
(2015年8月6日)

http://diamond.jp/articles/-/76217

東洋経済の記事では、かつて世界を席巻した日本の携帯メーカーやリーマンブラザーズを買収した野村證券、中国でのトヨタやホンダなど国内の業界トップレイヤーの実例から、国内では成功を収める大企業がなぜ海外では結果を導けないのか、その失敗の要因を考察しています。

ダイヤモンド社の記事では、海外進出を果たすも実情はその4割が撤退という結論に至る…その背景から見える失敗の要因について言及。

これらの記事から、今後海外進出する上で失敗を避けるヒントが読み取れるのでいくつかピックアップしてご紹介いたします。

▼ 海外進出の失敗要因(例)

・自分たちのこれまでのやり方、既成概念を正解と信じ込んでおり慣例の違いを理解できていない

・自社ブランドへの過信=現地マーケットニーズとのズレや認識不足。または進出する国や地域などマーケットの見誤り

・人材や機械などのアセット、品質管理のノウハウなど現地調達が必要なリソースへの理解、知識不足

・国内における海外マーケットの知見、ノウハウを持つ人材不足

・大手特有の意思決定タームの長さ、それによるタイミングロス

・競合(すなわち同業)の徹底排除によるパワー不足

以上はそれぞれがほんの一例に過ぎないと思います。実際に失敗する理由は企業によって様々な複雑な要因が絡み合っての結果であり、一言で要因を挙げるのは恐らく難しいことでしょう。

ただし、これら失敗要因を俯瞰して見てみることで、何をすべきか?は見えてくる気がします。大切なのは、自社製品の冷静な分析と海外マーケットへの理解、正しい情報収集、信頼できる現地(または現地に知見の深い)パートナーの存在、海外価値観の許容、既成概念への発想転換等々…。

やるべきことが多いようですが、これらは全ての物事の本質であると思えます。
己を知り、相手を知る。その土地を理解する。それなくしては戦略も戦術も空回りは避けられないということでしょう。

どう変わるか!?インターネット社会における血の通った営業

近年社会全体のグローバル化が進む中、人々は大切なものを忘れかけている傾向にあります。
それは他人と接触すること。

近年では幾つものSNSサイトの普及により、人と会わなくても繋がれるという不思議な現象が起こっています。
確かにSNSは便利で、自分の身の回りやチェックしたい人の一日の動向や会社の状況などがタイムラインを追うことによって把握することができます。
しかし、実際にはパソコンの液晶画面をみているだけで誰とも会っていませんし、会話のひとつも交わしている訳ではありません。

確かにコメント・メッセージなどのやりとりで交流を図ることが出来ますが、この行為だけで何か新しいビジネス、またはビジネスのコンテンツ生まれたりすることは非常に稀だと私は感じています。 何故ならそこには人との接触が無いからです。
例えばこのSNSのコメントやメッセージを1000回繰り返すより、たった1回の顔合わせや打合せの方が相手の隠れた意図や人柄を感じ取れることができるからです。

そして、その人柄や仕事に対する姿勢を認めることによって始めて新しいビジネスが動き始めるのです。

しかしながら、インターネット上だけである程度仕事が出来るようになってしまう時代はもうすぐそこまで来ています。

人との直接やり取りがなくてもメールでのやり取りや電話対応だけで仕事を動すことは今でもよくあります。
このことが今後どう発展して行くのか、それが心配でもあります。

私は現在営業職についています。
営業の根本は人との接触。
取引先の担当者の心を掴むことによって仕事を広げたり、守ったり、することができます。

人との接触は最大の柔軟剤、または潤滑剤だと私は思っています。
ただお喋りすれば良いと言うわけではありません。
目立った会話がなくても、相手の仕事への誠意や熱意が伝わってくることも有ります。
そうなると自分の出方や対応も変わってきます。
こういう相乗効果で仕事は発展して行くものだと私は思っています。

ビジネスのグローバル化が進み、国境を越えた仕事をする場合、文化や言葉の壁による摩擦が必ず生じます。このとき潤滑剤的な役割は仕事を進める上で最も大切なものとなる筈です。

その役割を担える人材を育てる事が1番大切なのではないか、と思います。
この人材により、企業もより元気に力を蓄えることができるはずです。

国境を跨ぐ、血の通った仕事を如何に行うか…それが今後の日本企業の課題だと私は考えます。

2014.07 (Smoulfish-LS)